摘要: |
ランドスケープアーキテクトとして初めてストリートの計画設計に関わったのは2007年,米国シアトル巿の都心部に位置する7thアベニューである。劇場地区に立地しながら数100 m続く空白のファサードに沿ったストリートはいつも薄暗く,喫煙者以外誰も使わない「シアトルで最も醜悪なストリート」と言われていた。そんなストリートを「The Garden Walk」というコンセプトで再デザインする仕事は困難を極めた。劇場の歴史的ファサードを映し込む鏡と緑で構成された壁,雲のキヤノピー,帯状の滞留空間と緑で構成される床面などのストリート空間は,数年かけて都巿計画局のデザイン許認可を取り付けたが,交通局との折衝は難航した。年に1度運行するバス路線を変更して歩道の拡幅を行うという提案が最後まで通らず,デザインを変更して狭小なストリートなまま完成を迎えた。当時は都巿計画局もストリートデザインのガイドラインやウォーカブルシティのような戦略を持っていなかったため,交通局は定量的なデータを盾に1歩も譲らなかった。交通系のコンサルタントもストリートのデータを取得してデザインに反映する経験は持ち合わせていなかった。 |