摘要: |
我が国では,戦後,昭和40年代半ばごろまでは,交通事故死者数が著しく増加し,昭和26年から45年までの20年間に,負傷者数は約31倍(3万1,274人から98万1,096人)に,死者数は約4倍(4,429人から1万6,765人)となった。この死者数は,日清戦争2年間の死者数1万7,282人にも迫るものであり,一種の「戦争状態」であるとして,「交通戦争」と呼ばれるようになった。その後,昭和45年に交通安全対策基本法が制定され,第一次交通安全基本計画が策定されるなど,国をあげての交通安全対策が進められた。こうした中,交通事故死者数,交通事故件数,負傷者数のいずれも減少へ向かい,交通事故死者数は54年に8,466人,負傷者数についても52年に59万3,211人までに減少した。その背景には,交通安全基本計画に則り,歩道,信号機等の交通安全施設の整備充実,効果的な交通規制の推進,車両の安全性の向上,交通指導取締りの強化,運転者対策の充実,交通安全運転および交通安全教育の普及等の交通安全対策が進められたこと,また,国民もそれぞれの立場で積極的な協力と自主的な活動に取り組んだことがあつたと考えられる。 |